御近所桜(7)
2006年 04月 10日
午後から雨になるというので、午前中、急いで走り回りました。
写真は市の中心部、船町の桜です。その昔、松尾芭蕉さんが奥の細道を執筆されてその結びの地となったところがこの大垣、その大垣でも最後の最後がこの地点。蛤のふたみに別れ行く何とかカンとかという句を最後に桑名へ行かれました。(船旅)(というお話しを承っておりますが、その場に私はいませんでした。当然だワさ!!)桜はここから大垣城まで断続的ですが繋がっています。
大垣城です。尼崎から来た戸田氏鉄(うじかね)を藩主として幕末まで続いた(今でも子孫の方はお見えになります)譜代大名のお住まいだったところです。
関ヶ原合戦の折り、石田君は、最初この城に陣取りましたが、百戦錬磨で城攻めには時間がかかるし、犠牲も大きいと考えた家康さんにあぶりだされて、まんまと関ヶ原に引っぱりだされました。
この城も、今では市民の憩いの場所「大垣公園」として下々に??解放されています。(国有地と市有地が半々)メジャーな観光地ではありませんが、それなりのファンの方はおられます。
市民のボランティアの方が親切に案内されていますので、是非一度おこし下さい。本当に何もありませんが、人の心は優しいですよ。
写真は市の中心部、船町の桜です。その昔、松尾芭蕉さんが奥の細道を執筆されてその結びの地となったところがこの大垣、その大垣でも最後の最後がこの地点。蛤のふたみに別れ行く何とかカンとかという句を最後に桑名へ行かれました。(船旅)(というお話しを承っておりますが、その場に私はいませんでした。当然だワさ!!)桜はここから大垣城まで断続的ですが繋がっています。
大垣城です。尼崎から来た戸田氏鉄(うじかね)を藩主として幕末まで続いた(今でも子孫の方はお見えになります)譜代大名のお住まいだったところです。
関ヶ原合戦の折り、石田君は、最初この城に陣取りましたが、百戦錬磨で城攻めには時間がかかるし、犠牲も大きいと考えた家康さんにあぶりだされて、まんまと関ヶ原に引っぱりだされました。
この城も、今では市民の憩いの場所「大垣公園」として下々に??解放されています。(国有地と市有地が半々)メジャーな観光地ではありませんが、それなりのファンの方はおられます。
市民のボランティアの方が親切に案内されていますので、是非一度おこし下さい。本当に何もありませんが、人の心は優しいですよ。
by tmshanagn304
| 2006-04-10 22:46
| 大垣散歩(あちこち
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Comments(2)