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自転車で行く小旅行


by tmshanagn304

青墓

古代,東山道(近代に中山道が出来て,廃道になったり,中山道の一部になった)の宿場町青墓宿は近世の中山道赤坂宿のすぐ西隣です。今では宿場町だった面影は全く感じられません。しかし,平安の昔にはそれなりに繁栄した東山道の宿場町だったようです。
昨日、大垣市史編纂室長の清水進先生より短い時間でしたが、この青墓宿についてのお話を伺う時間がありました。その時頂いた資料によりますと、、、。
丙辰紀行には「美濃の青墓、、、、いづれも長者遊者ありて、むかしは往還の武士軽薄の少年、鞍馬を門につなぎ千金のわらひを買うところなり」林道春、とか,また,「契りあれは此里人にあふはかのはかなからすは又もきてみん」一条兼良、など歌われて、傀儡記(くぐつき)には「名曵」(なびき)はあおはかのくぐつなり。「乙前」(おとまえ)もここの女にて有りし成るべし「保元2年のとし、おとまえが歌を年頃いかできかむと思いし物語をし出したりしに、信西入道これをききて尋ね候はむ。などなど、話題性もあり繁栄を極めた宿場であったことが分かりました。
青墓_e0074782_21312433.jpg

Commented by shinzo_h at 2012-06-24 21:40
歴史を感じさせる話です。
京と尾張を結ぶ重要な街道だったのでしょうね。
Commented by tac-phen at 2012-06-25 04:32
そんな歴史がある宿場だったんですね。

勉強になります。
Commented by 夏炉冬扇 at 2012-06-25 07:50 x
宿場跡の標識だけですか。さびしいですね。
Commented by yamaroku_kogyo at 2012-06-25 10:08
寂しげな標識が歴史を感じさせます。
Commented by tmshanagn304 at 2012-06-25 11:24
shinzoさんへ。
東山道は後に鎌倉街道となり、近代は中山道に引き継がれて発展しましたが、この青墓宿がそこまで発展していたとは知りませんでした。平治の乱で破れ、敗走する義朝は怪我で動けなくなった長男朝長をこの地で殺しています。
Commented by tmshanagn304 at 2012-06-25 11:25
tacさんへ。
青墓がどうして寂れたのか分かりませんが、これといったものは残っていませんね。
Commented by tmshanagn304 at 2012-06-25 11:29
夏炉冬扇さんへ。
吾妻鏡とか平治物語などにも青墓の地名は出ているようですが、近世になってからはお隣の赤坂宿が栄えました。赤坂は今でもその名残はあります。
Commented by tmshanagn304 at 2012-06-25 11:33
yamaroku kogyoさんへ。
文書だけから推し量る歴史ですから,現地は寂しいもんですよ。
大河ドラマで「乙前」の役を松田聖子がやってるようですが、この乙前は青墓の歌手?とかで、今様を歌っていたとあります。
Commented by yamachan@mito at 2012-06-26 14:03 x
青墓小学校卒業、北関東茨城・水戸在住のyamachan@mitoです。何度も青墓を取り上げていただきありがとうございます。今月初め頃、大河ドラマ終了後の「清盛紀行」で、「大垣市青墓町」としてが取り上げられたので、こちら茨城県でも職場とか知人に自慢できました。
by tmshanagn304 | 2012-06-24 21:37 | 中山道(赤坂宿) | Comments(9)