自転車で行く小旅行


by tmshanagn304

垂井(ガードレール)

今日の中山道には便利な物が設置されています。この高さならお年寄りでも楽に引っ掛けることが出来ます。さすがに国土交通省は頭がいい。
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# by tmshanagn304 | 2006-03-08 16:09 | 中山道(垂井宿) | Comments(10)

垂井宿(けやき)

垂井は観光バスが押し寄せるなどの、メジャーな観光地ではありませんが、それでも気候のよい休日になると、中山道をハイキングする人が大勢おみえになるようです。地元もそれに答えるべき観光スポットを整備しています。
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この場所の説明書きです。
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わき水の中の鯉ですが、この鯉を捕ってはいけない、又放流してもいけないとの看板もありました。
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# by tmshanagn304 | 2006-03-06 09:04 | 中山道(垂井宿) | Comments(3)

垂井宿(お食事処)

JR垂井駅の近くの「いっしょう」という名の小さなお店です。店内の雰囲気が素朴でとても素敵です。失礼ながら特に豪勢な内装がされているわけではありませんが、おそらく経営者の姿勢がそういったやわらかい空気をつくっているのだと思います。お料理は美味しいのは勿論、作り手の気持ちがこもっている感じがうれしいのです。
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まだ若いマスターと美人でとっても可愛いママさんですよ。
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# by tmshanagn304 | 2006-03-03 10:34 | 中山道(垂井宿) | Comments(5)

垂井宿(南宮大社)2

奥まったところで、周りの緑に映えてきれいな「朱」です。
入り口の説明書きによりますと、
御祭神は金山彦命。御鎮座は人皇崇神天皇の御代。美濃国の国府から南方にあたるから、南宮大社と呼ばれるようになった。関ヶ原合戦の折り、炎上したので、その後、徳川家光の寄進により再建された。その時の建物が現在のものである。となっております。
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おみくじ、絵馬の数など人気のほどが伺えますが、絵馬の一つが下に落ちていました。はたしてこの絵馬を奉納した人の運命やいかに。
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# by tmshanagn304 | 2006-03-01 20:21 | 中山道(垂井宿) | Comments(5)

中山道(南宮大社)

中山道を歩いていて横を向けばこの鳥居があるのです。旧街道を歩くとよくこういう光景に出会いますが、この鳥居はこの方面で今でも一番人気のお宮さん、南宮大社の入り口です。この鳥居から本殿までの間に、新中山道ともいうべき国道21号線、JR東海道線、新幹線が横切っています。
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ペンキは最近になって塗り替えたと思いますが、建物は江戸時代初期のものと案内されています。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-28 11:40 | 中山道(垂井宿) | Comments(5)

垂井宿追い分け

ここから右手に進めば、大垣方面から名古屋、、熱田の東海道へ。左へ行けば、赤坂、美江寺の中山道へ。幕末江戸へ向かう和宮は左の道を進みました。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-25 20:39 | 中山道(垂井宿) | Comments(2)

請願

時代が進めばそのように設備をしなくてはなりませんが、それでもその雰囲気というものがありますから、それに合わせて設備頂くと企業の文化的価値も上がるというものです。それからこの電線でございますが、何ともうっとうしいものです。こういった由緒あるところでは、早く電線の地下埋設をお願いしたいものです。「それじゃあ、スズメが止まるところがなくなるよ」と御意見が出そうですが、それは何とかすずめさんに考えていただきましょう。
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天保8年11月(1837)垂井、関ヶ原、今須の喫茶店?ホテル?はおおよそ次のような嘆願書を役所へ提出しております。「近年、米価、諸物価昂騰。往来の大名はケチになった。旅行客も減った。さらに近郊の村々では諸国の行商人を『親類のもの』といって宿泊させている。(白タク旅館営業)これでは我々はやっていけないので何とかしてほしい」
時代が進むといろんなことを考える人が出て来ますから、いつまでも一つのしきたり、慣行に頼ってばかりではいけないということでしょうか。なお、この歎願に対しての対策が執られたかどうかは資料がないということです。明治まで後30年。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-24 20:44 | 中山道(垂井宿) | Comments(2)

垂井宿(2)

昨日のところから100メートルほど東へ移動したところです。トラックが止まっているところに平成の面目があります。
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さらに東、現在の垂井町の中心部に近づいたところです。安藤広重さんもおおよそこの位置から絵筆をとったと看板に書いてありました。安藤さんは東海道だけでなく中山道69次も描いておられます。車、電車、自転車もなかった時代にとても精力的でス。見習わなくてはと思っています。
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2〇〇年前とは様子が違うでしょうが、これも致し方ないことかと思います。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-23 23:28 | 中山道(垂井宿) | Comments(1)

中山道垂井宿(1)

赤坂宿の西、約10キロの垂井宿についてちょっとばかしお話したいと思います。ここ垂井は大垣市内ではありません。つい最近まで合併を前提にお話し合いが進んでいましたが、垂井町の方に何のご不満あったのか知りませんが、結納もすませ挙式直前になって「破談」になったところです。しかし「破談」になっても「絶対にあなたは私と一緒になる運命なのよ。」「いまでも愛しているわあ〜」ということで、心を広くしてこの歴史ある垂井宿を御紹介するのです。(失恋涙、、)
御覧頂く写真は旧中山道垂井宿と関ヶ原宿との中間ぐらいのところです。道幅も当時のまま、(舗装は昭和のもの)松は大きくなったものもあれば枯れたものもあるということですが、雰囲気はお分かりいただけることと思います。倒れている自転車は私のもの、スタンドがないので、いつもこんな感じです。この写真「中山道」の左手100メートルのところをJR「東海道線」が、右手5〇メートルのところを「東海道」新幹線が通っています。「どうして中山道の脇を東海道が走ンのよオ」と言われそうですが、それには明治新政府の事情があったのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-22 23:20 | 中山道(垂井宿) | Comments(3)

赤坂宿(赤坂湊)

このような内陸部に湊とは?とお思いかもしれませんが、江戸時代には、海だけでなく川を利用した水運が発達していたようですね。この湊から杭瀬川、揖斐川を通って伊勢湾まで、荷物の往来があったとのことです。
現代は道路一本槍みたいなところがありますが、水運なら、湊をつくるだけだから道路をつくるより安上がり(素人考え)だし、地震で道路が壊れても代替出来る。それに年間8000人もの犠牲者を出す自動車より、スピードは遅くても安全な水運を考えてもイイかなあと思うのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-21 17:00 | 中山道(赤坂宿) | Comments(2)