自転車で行く小旅行


by tmshanagn304
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杭瀬川

大垣の長江ともいうべき杭瀬川のサイクリングでした。普段水のあるところは幅10メートルぐらいですが、ひとたび大雨が降ると龍のごとく濁流となる「おそれがある」市の西部を流れる川です。
この看板は新幹線向けです。(上りに乗った場合、米原、岐阜羽島間で進行方向右側の窓から御覧になることが出来ます。ーーそれほどみなきゃあいけないもんではありませんが、、、)近くでしげしげと眺めるのは初めてです。塗料が塗ってあるのではなく、樹脂のようなものを切り抜いて貼ってあります。その樹脂の表面は六角型の細かい模様で覆われていました。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-25 20:10 | 大垣散歩(あちこち | Comments(4)

朝長ルート(番外)

登り口付近に、人間でいえば高校生ぐらいに成長した竹の子がありました。瑞々しい感じで、さわりたいような、食べたいような気持ちですが、出来ないので写真に撮りました。
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ルートを出たところから北へ1キロぐらいのところにある、野外活動センターと称する広場です。キャンプなど出来るようですが、三味線の練習をするお兄ちゃんが一人いらっしゃいました。画面の奥、車の前です。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-23 10:22 | 大垣の公園 | Comments(9)

朝長ルート(4)

下りルート(私が勝手に命名しました)です。切り倒した樹などもう少し綺麗に始末してくれたらとも思わなくもありませんが、ナガい目で見ればいずれは朽ちるものなので、そう目くじらたてることもないかな。
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尾瀬よりもお金をかけた歩道のように思えます。マムシがいるから歩道以外のところは歩かないように案内が書いてありました。歩道以外のところは蛇道ということで、きれいな水が流れていて、マムシの生活適地です。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-22 10:17 | 大垣の公園 | Comments(12)

朝長ルート(3)

この散歩道は旧円興寺、朝長の墓を巡る周遊ルートになっていて、1.?キロかの手軽なコースです。木々に囲まれ、とてもゆったりした気分になれてよいと思うのですが、もう一つポイントがないために、人気がないように思うのです。せっかくの設備が勿体ないようにも思いますが、私が「独占」出来るからまあいいかというところです。
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この葉っぱは「うらじろ」というやつでしょうか?それならお正月の前に又来なきゃ。ははは。その時は一枚もなかったりして、、、。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-21 10:57 | 大垣の公園 | Comments(4)

朝長ルート(2)

写真は旧円興寺の門のあったところと「認定」された場所です。基礎の石の並び具合から判断したとあります。
ここの案内版に寄りますと、円興寺は延暦9年(790)最澄がここに立ち寄ってつくった。七堂伽藍がどうのこうのとあって、1574年、例によって、織田さんが燃やしてしまった。(延暦寺の焼き討ちは教科書にもありますが、こんな片田舎のお寺まで燃やすとはさすがに徹底しています)その後再建されたが、1652年、今度は雷で燃えた。そこで今度は、元々この場所は湿地だからということで、この山の西側に再建したとありました。山の頂上付近が湿地というのもおかしな話しだし、分かってたら、最初からそちらにたてればいいのになあと私は思ってしまうのです。西側に再建された円興寺は現存します。
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朝長のお墓の入り口にある石です。お参りする人はここへ刀を置くことになっていたそうです。石には「刀」と彫ってありました。
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左から?右から?義朝、義平、朝長の墓です。私がお参りする前に芭蕉さんも来たみたいです。
「苔埋る蔦のうつつの念佛哉」
それから頼朝も来たと書いてありました。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-20 15:18 | 大垣の公園 | Comments(0)

朝長(ともなが)ルート

この里山の登山道は公園とは表示されていませんが、広い意味で公園のようなものです。大垣の観光地図によりますと、「憩いの森遊歩道、朝長ルート」となっております。まず、この朝長という人は源義朝の次男、平治の乱で負けて負傷。義朝共々東国に逃げる途中、「これまで」ということで、この地(青墓)で自刃。(十六才)この里山の頂上にあった円興寺に葬られたとあります。その墓への道が「散歩道」として整備されているのです。ついでながら、この時一緒にいた頼朝はどこかに隠れたみたいだけど、結局は捕まって、後は御存じの通りの人生を送りました。又、義朝は愛知県の内海まで逃げましたが、入浴中にやられたようです。やられた時「木刀の一本もあれば、、」と言ったとか。この時代、武士は負けると終わりで厳しい時代だと思います。
話しがそれましたが、この遊歩道のお陰で、市民は朝長を知り、お墓参りも楽に出来て、約1000年の昔を思う事が出来るのです。
写真は旧円興寺(現在はこの場所にありません)とその朝長の墓に通じる登山道です。
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舗装などは入り口付近だけです。その後は全くの登山道になります。
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誰もいないし、鳥の声と、河原のせせらぎの音のみ。森林浴で「気持ちいい〜〜」と言うべきか、実際のところ一人だと「きみが悪い」です。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-19 11:01 | 大垣の公園 | Comments(10)

大垣祭り(5)

祭りの中心、八幡神社前の道路です。
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山車を見ていたら、関係者の方から日高昆布をもらいました。(ラベルの影のように見えるところが昆布の本体です。)私もとっさに受け取ってしまいましたが、これは本来お祭りの寄付をした人へのお返しに渡す品物だなと、「後で」気がつきました。その時気が付いていたら、寄付をしていたと思いますが、何とも鈍いもので、、はい!ズ〜とこれで損をして来た人生です。昆布の数はわずかしかありませんでしたから、当然皆がもらえるわけがありません。それでも子供を使って、3個も受け取った正統派のおばさんがいました。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-18 10:54 | 大垣の祭り | Comments(7)

大垣祭り(4)露店

お祭りに露店と見せ物小屋はつきもので、こういったものがないとビオラ抜きのオーケストラ、サービスエリアのない高速道路のようで、お祭りも物足りないものになるでしょう。
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露店にも栄枯盛衰はあって、昨年はメロンパンのお店が行列でしたが、今年はすでにその姿がありませんでした。新顔は焼肉のお店です。「飛騨牛」と書いたお店もありました。懐かしいところで、ハッカをパイプにつめて売るお店、さらに「ぽんはぜ」ってわかりますか?米を窯に入れてクルクル廻してパーンとやるやつです。それは実演販売ということで、黒山でした。クレープとかカキ氷り、お好み焼き、金魚すくいなどは安定したところでしょう。亀を売る店はなかったように思いました。規制されたかな??
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# by tmshanagn304 | 2006-05-17 11:31 | 大垣の祭り | Comments(7)

大垣祭り(3)

小さいお子さんが踊りを披露する山車があって、結構人気です。
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小さい山車ですが、背中に太いヒモを架けた人がいますが、この人の指図で山車は動いています。他の山車にもこのようなカッコウをした人(他の山車ではストライプではなく、黒の羽織り)がいて指図しています。このカッコウにどんないわれがあるのか知りませんが、なが〜〜い間に成立したものだと思います。大垣祭りは八幡神社鎮座の時から行われたと思われますが、清水進著、「美濃の近世社会」によりますと、盛大に執行されるのは正保五年(1648)藩主戸田氏鉄、氏信父子によって社殿が造営されてからである。となっております。その後、山車がつくられ、さらに立派な山車がつくられ、修理がなされを積み重ね、今日に至ったものでしょう。ザ〜と400年、永い伝統行事なのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-16 10:33 | 大垣の祭り | Comments(8)

大垣祭り(2)

予報が外れて今日は朝から晴れとなりました。 八幡神社の周辺は相当の人出になっております。
大垣には11両の山車があります。その内2両は近年再建されたもので、白木のものがそれです。漆が縫ってないのは、お金がないからではありません。それなりに時間が経たないと、塗ることが出来ないからです。飛騨高山や京都の山車に比べると、絢爛豪華とはいきませんが、水害との戦いに苦しめられた中で、これだけのモノを残してくれた先人の努力に感謝しなくてはなりません。
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# by tmshanagn304 | 2006-05-14 23:07 | 大垣の祭り | Comments(9)