自転車で行く小旅行


by tmshanagn304

垂井宿追い分け

ここから右手に進めば、大垣方面から名古屋、、熱田の東海道へ。左へ行けば、赤坂、美江寺の中山道へ。幕末江戸へ向かう和宮は左の道を進みました。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-25 20:39 | 中山道(垂井宿) | Comments(2)

請願

時代が進めばそのように設備をしなくてはなりませんが、それでもその雰囲気というものがありますから、それに合わせて設備頂くと企業の文化的価値も上がるというものです。それからこの電線でございますが、何ともうっとうしいものです。こういった由緒あるところでは、早く電線の地下埋設をお願いしたいものです。「それじゃあ、スズメが止まるところがなくなるよ」と御意見が出そうですが、それは何とかすずめさんに考えていただきましょう。
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天保8年11月(1837)垂井、関ヶ原、今須の喫茶店?ホテル?はおおよそ次のような嘆願書を役所へ提出しております。「近年、米価、諸物価昂騰。往来の大名はケチになった。旅行客も減った。さらに近郊の村々では諸国の行商人を『親類のもの』といって宿泊させている。(白タク旅館営業)これでは我々はやっていけないので何とかしてほしい」
時代が進むといろんなことを考える人が出て来ますから、いつまでも一つのしきたり、慣行に頼ってばかりではいけないということでしょうか。なお、この歎願に対しての対策が執られたかどうかは資料がないということです。明治まで後30年。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-24 20:44 | 中山道(垂井宿) | Comments(2)

垂井宿(2)

昨日のところから100メートルほど東へ移動したところです。トラックが止まっているところに平成の面目があります。
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さらに東、現在の垂井町の中心部に近づいたところです。安藤広重さんもおおよそこの位置から絵筆をとったと看板に書いてありました。安藤さんは東海道だけでなく中山道69次も描いておられます。車、電車、自転車もなかった時代にとても精力的でス。見習わなくてはと思っています。
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2〇〇年前とは様子が違うでしょうが、これも致し方ないことかと思います。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-23 23:28 | 中山道(垂井宿) | Comments(1)

中山道垂井宿(1)

赤坂宿の西、約10キロの垂井宿についてちょっとばかしお話したいと思います。ここ垂井は大垣市内ではありません。つい最近まで合併を前提にお話し合いが進んでいましたが、垂井町の方に何のご不満あったのか知りませんが、結納もすませ挙式直前になって「破談」になったところです。しかし「破談」になっても「絶対にあなたは私と一緒になる運命なのよ。」「いまでも愛しているわあ〜」ということで、心を広くしてこの歴史ある垂井宿を御紹介するのです。(失恋涙、、)
御覧頂く写真は旧中山道垂井宿と関ヶ原宿との中間ぐらいのところです。道幅も当時のまま、(舗装は昭和のもの)松は大きくなったものもあれば枯れたものもあるということですが、雰囲気はお分かりいただけることと思います。倒れている自転車は私のもの、スタンドがないので、いつもこんな感じです。この写真「中山道」の左手100メートルのところをJR「東海道線」が、右手5〇メートルのところを「東海道」新幹線が通っています。「どうして中山道の脇を東海道が走ンのよオ」と言われそうですが、それには明治新政府の事情があったのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-22 23:20 | 中山道(垂井宿) | Comments(3)

赤坂宿(赤坂湊)

このような内陸部に湊とは?とお思いかもしれませんが、江戸時代には、海だけでなく川を利用した水運が発達していたようですね。この湊から杭瀬川、揖斐川を通って伊勢湾まで、荷物の往来があったとのことです。
現代は道路一本槍みたいなところがありますが、水運なら、湊をつくるだけだから道路をつくるより安上がり(素人考え)だし、地震で道路が壊れても代替出来る。それに年間8000人もの犠牲者を出す自動車より、スピードは遅くても安全な水運を考えてもイイかなあと思うのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-21 17:00 | 中山道(赤坂宿) | Comments(2)

赤坂宿『人びとの生活』

現実問題として、人々はそこで生活していかなくてはなりません。宿場町も江戸時代のままの姿では難しいところがあることを理解しなくてはならないと思うのです。
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戦後、食べることに必死だった時代、高度成長期の新しいものに目がいった時代に、地方の文化遺産を残すことを口にした人は、あるいは電線の地中化を口にした人は少数派だったようにも思います。そのなかで、馬籠、妻籠が江戸時代の姿を残せたことの関係者の努力は並みのものではなかったことを想像するのです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-19 20:41 | 中山道(赤坂宿) | Comments(3)

赤坂宿(金生山)

海抜217メートルの山頂付近まで、自転車で登るのですが、長い急勾配のところが三ケ所あって、一気に登るにはそれなりの訓練が必要かと感じるところです。しかし同じようなこと思う人は他にもあったようで、山頂のお寺の御住職のお話しによりますと、先日も自転車で登って来た人があったとか。その人は、全く休憩なしで、「一度も地面に足を着けずに登った」と言っていたそうな。私の場合、そんな浮ついたことは出来ません。ちゃんと地に足をつけて、充分気持ちを落ち着けながら登ったのです。それでもかなりの汗でしたよ。
写真は金生山山頂の明星輪寺の山門です。御本尊は虚空蔵菩薩。地元では人気のお寺さんです。
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山腹での光景です。この山は石灰岩で出来ていて、古くから採掘がされています。石灰の生産も盛んです。雪の山は伊吹山です。新幹線の岐阜羽島、米原の間で御覧頂くことが出来ます。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-18 21:29 | 中山道(赤坂宿) | Comments(1)

お友達

久しぶりに中山道、赤坂宿です。赤坂の金生山を、またしても自転車登山、フウフウ、ハアハア、ノ甲斐ありましたよ。てっぺんの明星輪寺では尺八の演奏が始るところでした。生で尺八を聞くのは初めてです。穏やかに低く響く音は心に染み渡りました。写真の右端の人が演奏してくれました。その人のお仲間の写真です。穏やかな紳士の皆さんでしたよ。
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少し遅めのニュースですが、私が最初中山道赤坂宿でお知らせしました、伝統的な赤坂の民家は矢橋家の邸宅です。雑誌、「家庭画報」1月号にこの矢橋家が紹介されていました。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-17 20:25 | 中山道(赤坂宿) | Comments(7)

花嫁

打ち掛けの花嫁さんです。
世の中、結婚しない症候群とか、晩婚とか、その延長で少子化が進む中、この若いカップルにエールを送ります。
お二人の末永いお幸せを心からお祈りします。
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ドレス姿のお嫁さんも綺麗ですが、打ち掛姿のお嫁さんも又特別きれいです。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-16 19:56 | きまぐれに | Comments(1)

皆さんありがとう

お店番の華ちゃんです。
華ちゃんは我が家の第一営業マンです。お客さんをなだめたり喜ばせたりで、お給料なしでよく働いてくれます。
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華ちゃん、曰く「私の一番の不満は外を自由に歩けないことです。」「御主人様はヒモをつけてないと外には出してくれません。」「ウチへおみえのお客さまは『かわいい!』とかいって、抱いてくれますが、本当は外へ出て、自由に飛び回りたいのです。」「それを許されない美人お嬢様はつらいのです。」「苦しいのです」「お分かり頂けますでしょうか」
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今回の華ちゃんシリーズは、一応終わらせていただきます。ありがとうございました。明日からは、又、思いつくままに書き込んで参りますが、是非ともおつき合い下さいますよう、七重の膝を八重の折りお願い申し上げ奉りますでございます。
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# by tmshanagn304 | 2006-02-15 19:57 | ネコ(華ちゃん) | Comments(6)