自転車で行く小旅行


by tmshanagn304
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カテゴリ:中山道(今須宿)( 7 )

神戸ポタリングクラブ

今までブログの中だけのお付き合いでしたが、ひょんなことから今日は神戸ポタリングクラブの方とご一緒に走らせて頂きました。大変光栄なことだと思っております。垂井駅から滋賀県境の今須までお供しました。
私は平地では何とかついていけましたが、メンバーは若い方々ですから坂道になると、年金族の私はさすがに次から次えと追い越されていきました。メンバーには女性の方もおみえになりました、それがとっても美人の方ばかりなのは不思議でした。その方達は顔を隠して走りました。当然だと思いました。あの美形をあらわにして走れば、すれ違う車のわき目を誘うことになり事故の元になるからです。
「そんなことかんけいないわ〜」とばかりに美形を露骨にして走る美女もお見えになりましたが、鋭い眼光の男子がしっかりとガードしていました。
又、その男性陣は個性豊かでしたよ。メカにめっぽう強い人の話など傍で聞いていても何のことだかさっぱり分かりませんでした。この西方からお超しになった方々を、家康の陣地で休憩して頂いたのは配慮に欠けていたと反省することしきりです。
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by tmshanagn304 | 2010-08-08 20:20 | 中山道(今須宿) | Comments(22)

柏原を臨む

何となく飲み過ぎのカンジです。そこで写真のみけいさいすることにいた、し、ま、す、うええ〜。
もう寝ます。しつれいいたしやす!
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by tmshanagn304 | 2010-06-08 23:49 | 中山道(今須宿) | Comments(2)

今日のサイクリング

滋賀県の柏原まで行ってきました。
関ヶ原から西への中山道は夏草に覆われて、周りは見えませんが、新幹線の音、名神高速の音、在来線の音、野鳥の声などが空中で交差する、自然の中にいながら、これらの道、鉄道が繋がる都会を思うとき、都会にありながら、自然に接する事の出来る浜離宮庭園とかの大規模版、東海道(中山道)交通公園のようなところだと思うのです。
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by tmshanagn304 | 2010-06-07 22:04 | 中山道(今須宿) | Comments(0)

 今須(4)妙応寺

明治以前の妙応寺は中山道から参道づたいに来ると、この石碑が目に止まり、馬、駕篭の人は降りてお参りしたものと思われます。この石碑が造られたのはおそらく1700年代、或いは1800年代の初期(全くのしろうと判断)
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しかし、以後の時代はその指示を全く無視しました。二つのミニトンネルのような穴を御覧ください。向こう側のアーチトンネルはJR.手前のコンクリートむき出し穴トンネルはR21の下になります。とくにJRは初期のころから拡幅された形跡があり、この妙応寺の鼻先を走っています。R21の通行量もバカにはなりません。そしてこの二つの幹線は「下乗」の石碑と山門との間にあるのです。又、中山道からの参道がどこかに通じる道路でもあるようで、ダンプを始め、乗用車等が頻繁にとおりぬけます。「下乗」の石碑は虚しく泣きながら建っているようでした。せめて私だけはと思い、降りて自転車を引張って山門まで行きました。
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by tmshanagn304 | 2006-08-05 22:35 | 中山道(今須宿) | Comments(4)

今須(3)

きれいなお寺です。案内版によると、妙応寺。136〇年の創建。曹洞宗。寄進により石高を増やす。徳川政権下では20石を安堵。明治まで続いた。とありました。屋根の勾配、形と壁面のバランスがきれいだと思います。白と黒とのコントラストもいいです。
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山門の横にある櫓です。建物の意味合いは勉強不足で分かりません。
画面右の草はJRの土盛りに生えた草です。敷地のはなっつらのところを線路が通ってしまったのです。
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by tmshanagn304 | 2006-08-04 22:48 | 中山道(今須宿) | Comments(4)

今須(2)問屋場

荷物や馬などの継ぎ立てをしていた問屋場の一つ、山崎家です。案内板に寄りますと、『この宿には一時、7軒もの問屋場があった。めずらしいことである。(この宿で)当時のまま残っているのはここだけです。』大凡そのような事が書いてありました。今須は東西交通だけでなく、伊勢路を通っての南からの荷駄の継ぎ立てもしましたから、繁昌したのでしょう。
余談ながら、伊勢方面からの京都方面への荷駄は本来、今須の南、牧田から関ヶ原宿へ運ぶ事になっていましたが、道が比較的平坦、近い、駄賃が安いなどの理由により今須宿に運ばれてしまった。それが為に関ヶ原と今須にはトラブルがつづいたようです。
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街並の保存、或いは雰囲気を壊さないようにとの配慮からこのような交番になったものと思われます。おみやげやさんかと思いました。
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by tmshanagn304 | 2006-08-03 22:18 | 中山道(今須宿) | Comments(2)

今須(1)

関ヶ原の西、今須宿です。(現在は関ヶ原町の一部)大垣、垂井からは遠く、関ヶ原のように高速道路のインターチェンジもなく、失礼ながら産業的発展から、いささか遅れをとった感を否めないところですが、それだけに往時の面影を随所に見る事が出来るのです。
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この案内に寄りますと、京都の何とかという商人が大切な荷物をなくした。ところが一生懸命祈ったら見つかった。その御礼にこの常夜灯を寄付したと書いてありました。その商人の名前も書いてありましたが忘れました。写真を拡大すれば分かるだろうと思いましたが、解像力不足でした。
これだけのモノを寄付されたわけですから、相当大切なものだったのでしょう。しかもそれが見つかるというところが、当時の治安はよかった。
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by tmshanagn304 | 2006-08-02 22:25 | 中山道(今須宿) | Comments(7)